シャキ。シャキ。
紙を切る音が聞こえる。
春。
アパートの二階、角部屋。
窓からは春のあたたかく柔らかい陽が射し込んでいる。
外には桜の木。
優しく風が吹き、
開いている窓から部屋へ桜の花びらが入ってくる。
女がひとり。
花紙を切っている。
鼻歌が
か細く、途切れ途切れに聞こえる。
しばらくして、
女「春
【春はあけぼの。やうやうしろく】…
【春眠暁を】…
【春のうららの】…
続きを思い出そうとすると頭の奥の方、
目の奥の方…奥だなぁと思う奥の方がぼーっとする。」
女、切った花紙を集めて部屋に撒き散らす。
男「ただいまぁ」
男が部屋に入ってくる。
手には花紙が入った買い物袋。
女「春の匂いがする。」
男「はるのにおい?」
女「わかる?」
男「花の匂いじゃなくて?」
女「春の匂い」
男「春のねぇ…」
男、女に手に持っていた物を渡す。
女、また花紙を切り始める。
男、その姿を見たり
部屋に散らかってる花紙を集めて散らして見せたり
コーヒーを飲んだり。
しばらくして
女「…昔ね」
男「ん?」
女「昔、好きだった人がね、【春の匂いがする】って(言ってね)」
男、女の言い切りを待たずにくしゃみをする。
男「ごめん。
窓、しめてもいい?」
女「好きになった。」
男「え?」
女「それから春が好きになった。」
男「……」
女「ねぇ、春の匂いがするね。」
女、切った花紙を窓の外にぱらぱらと散らす。
男、そんな女を見ている。
女、ふわっと笑顔を見せて、外に出て行く。
男、しばらくして窓を閉める。
男「お前は誰と会話してるんだ…誰と…
お前の言葉が知りたいよ。」
男、散らかった部屋にため息を吐き、部屋を片付けを始める。
部屋とは違う場所。
女「春になると頭の奥の方、目の奥の方…奥だなぁと思う奥の方がぼーっとする。
体中の血が活発に走りだし、あたたかく、熱くなってくる。
何かが生まれる気がする。そんな気がする。春になると。」
男、集めた花紙を見つめ、高く放り投げる。
男、散る花吹雪の中、横になる。
男「彼女はアパートの二階に住んでいた。
二階の角の陽の当たる部屋に住んでいた。
窓を開けると桜の木の枝が
手が届きそうなところまで伸びた桜の木の枝があった。
彼女がこのアパートを不動産屋に見せてもらったのは、
もうすぐ桜の花が咲きそうな日、すぐに気に入って引っ越した。
初夏には毛虫が出て大変だろうと言ったことがある。」
女「いいの。」
男「桜の木がある。
それで全ては良しとなってるらしい。」
女「今年はあたたかくなって、寒い日が続いたから?桜が、花ごと散る…ううん、落ちてくるよ。」
男「この季節になると彼女はいろんな顔を見せてくれる。
そんな彼女を見るたび、彼女自身が散ってしまうんじゃないかと…儚く、透明な彼女…
【桜の木の下には死体が埋まってる】と誰かが言ってた。言ってたのは…言ってたのは、結局誰かだ。」
未完成。